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露出と私【女性体験談】

私が目覚めはじめたのは、男子の性的な視線を強く意識し始めた小学5年性位でした。
体育や水泳の授業の時の男子の視線が何故か快感で、そのうち街中でもスカートを短くして風に簡単にめくれるようにしてみたりとだんだんと目覚めていった6年生の6月頃、初めて意識した露出をしたんです。

その頃団地に住んでいた私は、夜遅く皆が寝静まった頃に、スクール水着にサンダルだけという格好で恐る恐る部屋を出ました。
なぜスクール水着だったのかが良く覚えていないのですが、初めて男子の視線で恥ずかしさを超えて気持ちよさを感じた品だったからか、それか水着で外に出るという非日常感がつぼにはまったのかも知れません。

少し肌寒いなか、恐る恐る羞恥と恐怖で震える足を動かして、4Fから1Fまで降りました。
階段を下りたところから外をうかがうと、誰もいませんでした。
街灯の暗いマンションとマンションの狭間にある小さい公園にそっと足を踏み入れると、普段皆であそんでいる場所に変態的な格好で一人でたたずむ私という構図に、脳天がしびれるような快感を覚えました。



その時は時間にして5分ほどですぐそっと部屋に戻りました。
両親は眠りが深いこともあって、良く寝ていました。
この体験からしばらく、夜中に非日常な格好で外に出るという行為が、親にばれるまで続きました。

スクール水着や体操服(まだブルマでした)が、当時の私のブームでした。
最初はただ外に出て公園に出るだけで満足していた行為も、すぐにもっと快感を得たいようになりました。
少しづつ距離と時間が延びて、団地を人に見つからないように歩き回ってみたり、団地の外の夜はあまり車通りも人通りもない道を、民家の影に隠れながらおっかなびっくり歩いてみて、そのうちタクシーやトラックを選んで見てもらうようになりました。

普通の車は女性か男性か、何人乗っているか、どんな人が乗っているか全然わからないけれど、タクシーなら当時は男性のみ、トラックも男性一人なので安心?でした。
ブルマ姿なのを見ると、ほとんどの車はゆっくりと速度を落としてみていきました。
同じ車が折り返してきたり、トラックが止まって男が降りてくるのをみてあわてて逃げたり。

見られている快感で転んでしまった私を、タクシーからあわてて降りてきたおじさんが、「大丈夫?そんな格好で危ないよ。」とお尻に手をかぶせるように撫でながら抱き起こしてくれたり。
遠くから来る車のライトを見たとたんに「あれはパトカーかも」って思って隠れると、本当にパトカーでほっとしたりもしました。

今でも第6感?なのかパトカーや警邏が近づいてくると、「くる!」て感じますw
こんな行為を続けているのに、今まで一度も警察に遭遇したり職質されたことが無いのも、そのおかげです。
ある意味周囲を気にして感覚を研ぎ澄ましていたからかもしれません。

中学に入った頃から水着はやめ、体操服か制服(中学のときは白線2本のスタンダートなセーラー服でした)で夜中の1時~2時頃に出ていました。
散歩時間は1時間以上に伸びていました。
オナニーも覚えて、散歩の最中に街灯に背中をつけて明かりの中でオナニーしたりしていました。
中学ではもう廃止されていてブルマではなかったので、体操服は小学校時代のを着ていました。

制服姿の時はスカートを折ってパンツが見えそうなほど短くしたり、わざとスカートがめくれてお尻が丸見えの状態で信号待ちのタクシーの前を歩いてみたり。
「お嬢ちゃんめくれてるよー」て窓からおっきな声で呼びかけられて、その視線と声で腰が抜けそうなほどの快感で実際転んでしまい、降りてきたおじさんに心配されながら団地の入り口まで送ってもらいもしました。

団地の中に来ている牛乳配達のおじさんと、別の棟の1Fの廊下で制服のスカートがめくれて丸見えの状態ですれ違いもしました。
恥ずかしくて顔は伏せていて、心臓がどきどきで膝が震えて歩けなくなって壁に身を預けていると、おじさんが後ろから戻ってきて、「大丈夫?乱暴されたのか?」て私のすぐ後ろに立って聞いてきました。
「大丈夫です。何でもありませんから。」と震えるような声でおじさんに背を向けたままいうと「スカートめくれているよ。ほら直しなさい。」とパンツにはさまれてめくれているスカートに手をかけて引き抜きおろしてきました。

そして「少ししわになってるよ。ほらちゃんとして」てお尻の辺りを軽くはたくようになでてきました。
別にいやらしくではなく、ただ叩いているようでした。
それでも動かないでいる私を、「ほら支えてあげるからお部屋どこ?」と私の左側に立って腰に右手を回して抱き支えるようにして歩かせようとしてきました。

おじさんの体温を感じた私は怖くなって「やだ、触らないで、いやだ」と、手を振り解くように暴れてしゃがみこんでしまいました。
おじさんは泣き声な私に「何にもしないよ。ほらお部屋に帰ろう。」となだめて、軽く頭を撫でてきました。

そのまま少しいると落ち着いてきたので、「もう大丈夫です。お部屋に帰りますから。」とおじさんから逃げるように廊下を歩き階段を上り、配達の車がいなくなるまで階段で座って待ってから帰りました。
めくってはさむことでスカートに皺がよってしまうため、この時を最後に制服はやめ体操服だけになりました。

父は少し前からなんとなく気配でおかしいなと気づいていたそうです。
その日は早めにトイレに起き、私の部屋をのぞきも抜けのからであることに気づき、また玄関の鍵も開いていることから心配して外にさがしにきていたのです。
父も道路側の普段と違う様子に気づいており、すぐにそのまま部屋に戻りました。

部屋に入ると母もおきていました。
母は泣いていました。
「なんで、どうして」と泣きじゃくる母の顔と、「無事でよかった」とやさしく頭を撫でる父の声を聞いて私も安堵のあまりおお泣きしました。

その後は日を空けて私が今までどんなことをしてたのか洗いざらい(危ないのはそれでも隠して)ばれ、母はショックのあまり倒れ、父にはあきれ果てられ初めて手を振るわれました。
母は相当にショックだったようで、その後精神的に少しおかしくなり、カウンセラーに通院することになりました。

その通院場所が団地から遠かったことと、団地に住んでいるとこのままトラブルになる危険があると父が強く主張したことで引越をし(学校は私立だったので、問題ありませんでした)、私もその後しばらくはおとなしく勉学にいそしみました。

また私を心配した母に、無理やり同じカウンセラーに通わされもしました。
矯正したかったのでしょうけど、あんまり効果はなかったです。
むしろカウンセラーの、「いろんな人がいて、あなたの行動もおかしなことじゃないんだよ」と言われたことで、後ろから背を押された気もします(^^;)

そうそう、高いところから飛び降りた代償もありました。
右足の足の裏に罅が入っていましたwほんとうに自業自得でした。
その後はしばらくはおとなしくしていました。
でもストレスを感じるととめられませんでした。

家の周辺での行為はやめ、主に学校の行き帰りにスカートを短く折りたたんで階段を上る男性の前を手で押さえないで上ったり、駅のトイレでパンツを脱いでノーパンで乗ってみたり、体育の無い日に学校でノーパンで過ごしてみたりしていました。

そんな今から見るとかわいい露出は、大学に入り一人暮らしになるまで続きました。
こんな体験が元となっていったのか、私はいまだに童顔でチビなこともあって、主に学生系の装い&非日常に感じるようになっていきました。

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THEME:エロ体験談・告白・官能小説 | GENRE:アダルト | TAGS:

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