妻に若い男ができました
私62歳。起業家(3年前に社長職を禅譲)悠々自適の日々。
若い頃は日々女あさりも結婚を境に妻一筋。
妻57歳。貧乳・ピンクの巨乳首。緩んだ腹がクビレに見える巨尻。酒豪。
私が抱いた最後の処女。
私は若い頃に年上・年下・既婚(子持ちも含む)・婚関係なく、色々な女性と一夜を共にしてきたけれど、大概の女性は1回抱けば次からは露骨にスケベなだけのメスに変貌してきた。
妻も23歳で処女でしたが、1度抱いてしまった後は2度目・3度目は容易に抱く事ができた。
もちろん妻はスケベの度合いでは私が知る女性で最上級。
キスだけで下着にシミを作る程濡れやすく、貫通痛がなくなってからは1度も前戯をした事がない。
妻は非常識と思える程に一切の下ネタを知らないウブな女性で、喘ぎ声も最小限。
それでいながら最高に締まりの良い最高のマンコを有し、妊娠経験がないためか、現在も名器の持ち主。
交際初期の頃はバックや騎乗位等を気持ち程度しましたが、余りのウブ加減に正常位のみで2~3ラウンドすればすっかりグッタリしてしまい、1週間に数回交わっていれば満足そうにしてくれていた。
妻は4年前に卵巣嚢腫を、2年前に子宮筋腫を立て続けに患い、卵巣1つと子宮を摘出し、子供ができない身体となってしまったものの、残った1つの卵巣が必死に頑張っているのでしょう。
手術以前より一層女性らしさが溢れ、色気が出てきた。
然し乍ら、私は妻の傷を庇い、セックスレスとは言わないまでも、回数は月1回程度に激減しました。
私が会社を禅譲し、取締役会と株主総会しか出社しなくなってからは妻と2人でこぢんまりとした居酒屋に日参するのが日課となり、カウンターの1番奥の2席が完全指定席となり、どんなに遅く行っても必ず空席になっていました。
妻の酒は周囲を楽しくさせてくれるのですが、日本酒を引き金に絡み酒に豹変するのが難でした。
若い頃は日々女あさりも結婚を境に妻一筋。
妻57歳。貧乳・ピンクの巨乳首。緩んだ腹がクビレに見える巨尻。酒豪。
私が抱いた最後の処女。
私は若い頃に年上・年下・既婚(子持ちも含む)・婚関係なく、色々な女性と一夜を共にしてきたけれど、大概の女性は1回抱けば次からは露骨にスケベなだけのメスに変貌してきた。
妻も23歳で処女でしたが、1度抱いてしまった後は2度目・3度目は容易に抱く事ができた。
もちろん妻はスケベの度合いでは私が知る女性で最上級。
キスだけで下着にシミを作る程濡れやすく、貫通痛がなくなってからは1度も前戯をした事がない。
妻は非常識と思える程に一切の下ネタを知らないウブな女性で、喘ぎ声も最小限。
それでいながら最高に締まりの良い最高のマンコを有し、妊娠経験がないためか、現在も名器の持ち主。
交際初期の頃はバックや騎乗位等を気持ち程度しましたが、余りのウブ加減に正常位のみで2~3ラウンドすればすっかりグッタリしてしまい、1週間に数回交わっていれば満足そうにしてくれていた。
妻は4年前に卵巣嚢腫を、2年前に子宮筋腫を立て続けに患い、卵巣1つと子宮を摘出し、子供ができない身体となってしまったものの、残った1つの卵巣が必死に頑張っているのでしょう。
手術以前より一層女性らしさが溢れ、色気が出てきた。
然し乍ら、私は妻の傷を庇い、セックスレスとは言わないまでも、回数は月1回程度に激減しました。
私が会社を禅譲し、取締役会と株主総会しか出社しなくなってからは妻と2人でこぢんまりとした居酒屋に日参するのが日課となり、カウンターの1番奥の2席が完全指定席となり、どんなに遅く行っても必ず空席になっていました。
妻の酒は周囲を楽しくさせてくれるのですが、日本酒を引き金に絡み酒に豹変するのが難でした。